2020年6月3日水曜日

混元球に関する私見

陳式心意混元太極拳に関し、外部からは種々の意見があります。その中で陳式太極拳は方から円に行くという事が陳氏太極拳図説から説明されている意見もあります。これに関する私見を述べたいと思います。まず当門では陳氏太極拳図説は門外漢の書としてこれに学ぶ事はありません(実際門外漢の書なのかどうかは分かりませんが、そう言われている為、疑問を持った事はありません)。学ばれるのは自由なのでこれをとやかく言うつもりはありませんが。
陳式心意混元太極拳はあくまでも馮志強老師の命名ですが、この原型を創られた陳発科老師はあくまでも陳式太極拳として改良されたものです。陳発科老師は陳式太極拳の宗家なので敢えて別名をつける必要も無かったはずです。一方小生の身体感覚からは纏絲勁も混元球の上に載せて発する感覚があり、その方が一層強い、抗い難い勁力が出るし、又身体感覚からもしっくりいくものです。従い、方から円、球に行くのでは無く直接混元球を目指す太極拳と思われます。陳発科老師がこの太極拳を作った意図もそこにあるのではないかと考えています。勿論、陳発科老師がどのような順序で太極拳を学んで来られたかどうかは知る由もありません。ひょっとして方から円に至ったのかもしれません。然し乍ら陳発科老師は胡耀貞老師との出会いにより両者が到達した共通の地点をより明確にし、短時間で後学の子弟に学ばせようとされたと思われます。その観点から家伝の陳式太極拳をより高いレベルに修正していったものとみるのはごく自然ではないでしょうか?陳発科老師にとっては自身の家伝である陳式太極拳ですが、馮志強老師にしてみれば元々胡耀貞老師に師事し、胡耀貞老師の推薦で陳発科に学ばれたのですから両老師に対する尊崇の念はどちらが上というものでは無い事は間違いありません。その両老師が共同研究もして、その結果陳発科老師が改良した拳を馮志強老師が最後に集大成したとは言え馮志強老師が両老師の由来を残す意味でも陳式心意混元太極拳と命名する事は容易に想像できる事です。これは馮志強老師だからこそ、この名前になったので、陳発科が命名していれば陳式太極拳でしょう。勿論陳発科老師が改良して時点で出身地である陳家溝で練られている太極拳とは異なりますが、宗家にとっては出身地で練られている拳はどうでも良い事でしょう。どうでも良いと言うのは自身の出身の陳家溝の拳に合わせなければならないという意思が働かないという意味です。
北京陳式の一部からは、これは陳式太極拳の新架式ですねとの意見がありますが、正にそれが妥当な呼び方と思います。

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