2001年7月1日日曜日

真功夫Ⅱ

真功夫Ⅰの続き以下の通りです。

「今敢えて功夫は問いません、拳を正確に打つ事ができれば上出来です」

記:
皆さんは太極拳の真功夫は失伝したと思いますか?
孫:
孫式太極拳は私の後は終わりでしょう。
呉:
この可能性はあると思います。と言うのは腕前は人の体を通して表れるし、真功夫を掴んでいる人は益々少なくなっているからです。民間武術は現在滅亡の危機にあります。最大の問題は学んでも使う場面がない事です。過去民間武術は多くの使い道がありました。例えば拳を教える、ガードマン、公の御用、最低でも世の中で香具師、旅芸人になる手もあった。
現在は実戦の拳を学んでも表演で金メダルを取る事もできず、全く使い物にならない。
清末の民国初期に李瑞東という先輩がおり、人は「鼻の李」と呼び北京、天津一帯では名を馳せていた。晩年に彼は自分の会得した物を三種類の太極拳、即ち天盤、地盤、人盤として著し、又器械に関しても著した。但し、時代が発展するにつれ現在その太極拳を練習する人は多くないと思う。只人盤太極拳又の名を五行錘はまだできる人はいるだろうが天盤、地盤太極拳は恐らくできる人はいないだろう。
馮:
太極拳に限らず武術としてみた場合どれもこれも失伝はあるでしょう。というのは拳架上ではなく功夫上も失伝はあるでしょう。拳架の事はまだなんとかなるが、功夫上の事は対処するのが難しいと思います。現在功夫は失われつつありますが表面的には発展しています。
例えば見ばが良くなったり、来ている衣装も良くなっており発展している。
2人のドイツ人が私の下で太極拳を学んだ事があるが、一つの動作を彼らは一度に数百回練習したりする。もちろんうまくできなければあきらめません。タントウも毎日2時間行う。
我々中国人はそれ程苦労して功夫を練ったりする人はいない。外国人は中国の功夫が良いのを知っているので一所懸命学ぶ。我々は努力して学ばねば、将来は…。
王:
趙堡太極拳は代々村の中で継承されてきており失伝はありえない。但し、以前は武功があった人は死ぬ前に弟子の中で優秀な弟子を選び秘伝を伝えた。もし、師が死の直前に秘伝を教えるのであれば中国の太極拳は危険な状況にあると言わざるを得ない。
李:
そんな事はないでしょう。必ず愛好者はいます。
游:
失伝する事は有り得ないでしょう。中国の文化は五千年の文明があり、秦の始皇帝はかつて焚書坑儒を行ったが中国の文化はやはり保存されてきた。文化大革命の期間も又一度文化は災難に会ったが現在この文化の本質的な部分は完全に守られてきた。
楊:
そのような事は無い。学ぶ人はいるが、一人おれば一人に伝え、二人おれば二人に伝える事ができる。あなたはまた功夫は違うと言うのでしょう?現在は功夫は議論せず拳が正確にうてればそれだけで立派なものと言うべきでしょう。
国家政府部門が中国伝統太極拳の管理情況を理解する為、記者は国家体育総局武術運動管理中心主任の李傑を取材した。

記:
武術管理センターは中国伝統太極拳を扶植する事ができますか?
李:
私は各省市が現在斯様なお金を割り当てる事はできないと思います。何故なら伝統武術の研究は目下の処重点項目に入っていないからです。現在武術をオリンピックのアイテムに入れる事が焦眉の急となっており、どの拳種を重点として研究するかといった事に割く精力はありません。と言うのは拳種が多すぎるからです。資金上は現在競技太極拳ですら不足しているのに、どうして伝統武術を研究する資金があるというのでしょうか?
記:
では中国太極拳の真功夫は失伝していまうのでしょうか?
李:
心配はいりません。伝統武術は絶対失伝しません。只、新しいものが出てきて元々の物は失われていくでしょう。もし元々の物が失われれば即ちそのものが存在する価値がなかったと言えます。
21世紀はわれわれの子孫、後輩は真の太極拳の功夫を見ることができるでしょうか?又外国人は太極拳の真功夫は中国にあり決して他に移る事がありえないと考えているでしょうか?我々世紀を跨る中国人はこの時期にあたり何をできるでしょうか?