2003年4月18日金曜日

失伝に関して

 今日は失伝に関して私が馮老師から聞いた話を元に話たいと思います。これはある時馮老師との練習の後、話題が胡耀貞老師の話になった時の事です。馮老師はいつも胡耀貞老師の事を神だと絶賛されますが、その時も胡老師を絶賛されていました。その流れの中で胡老師の功法に付いて言及されました。胡老師は本当に多くの功法をお持ちだったと言われていました。自分は胡老師から多くの功法を学んだ。自分が弟子の中でも一番多くを学んだと思う。でも自分が学んだ功法は胡老師の功法の約30%くらいだったと。即ち70%くらいは失伝したとの事でした。では他のお弟子さんは大体どのくらいの功法を学ばれたのですか?と質問すると約10%くらいだと思うと言われていました。成る程、流派ができる一方で、失伝もこのように生じているのかと感慨を新たにしました。最初は馮老師は胡老師の全てを継いだものとばかり思っていた私は胡老師の高い境涯に思いを致すと共に、馮老師でも胡老師に師事している間には胡老師のレベルには未だ距離があったのかと思ってしまいました。通常馮老師の教え方は学生があるレベルに達するとそのレベルに合ったものを教えるという具合に段階を踏んで教えていきます。これは当たり前と言えば当たり前ですが、馮老師もそのように胡老師から学んだものと推測されます。従い、馮老師も当時の胡老師のレベルから見れば未だ未だだったのかも知れません。ですからその時点で胡老師の全ての功法が学べなかったのでしょう。もう一つの解釈は他の功法があまり重要でなかった事も考えられますが、胡老師が色々な功法を持っておられた事を馮老師が知っていた事からも他の功法が無用ではなかったと思えます。この話を聞くまでは失伝というのは後を継ぐ人がいなかったから起こるものと思っていましたが、そうではなく師事している期間に師のレベルに達しないから起こるものも多いのかなと思い始めました。師はいつまでも自分の傍にいるわけではありません。偶々、何かの縁で知り合い、ある時間を一緒に過ごすだけなのです。その意味でも良い師に会ったならその時間を惜しむように練習し、自分のレベルを上げて師から多くを学ばねば失伝は起こるという事だと思います。もっとも馮老師の場合は練習を怠ったものではなく、胡老師が突然居なくなった事により、胡老師から学べなくなったのです。胡老師はある時文化大革命が起こる事を予知し、その話を馮老師にされ、自分は田舎に行って暮らすと言われ突然居なくなったとの事です。