2022年10月4日火曜日

混元太極拳に関する張禹飛老師論文 その2

 なぜ「混元太極拳」は太極拳の元来の練習方法を回復したと言われるのか

                     張禹飛

太極拳の大家、馮志強先生が創始した「陳式心意混元太極拳」(以下、混元太極)は、道教の内丹功を基礎に、陳式太極纏絲内功と心意六合の内功を母体とし、科学的で完全な「混元太極拳」の練功システムを確立しています。その拳と功(内功)は一体であり、身体の内と外を共に求め(身体の内なる内功を練りつつ、外の拳も練る)、性と命を共に修め、形を練る事で道に適う練習です。これは太極拳の歴史におけるもう一つの一里塚であり、後世に貴重な精神的な宝物を残したといえる。 私は「混元太極拳」の真骨頂は本来の修練を取り戻し、本来の面目を回復している事にあると思います。 私は長年(馮志強)老師に付き従って、混元太極拳を追いかけてきて、混元太極拳に関する見識や体得を蓄積してきましたので、それを皆さんと一緒に「混元太極拳」の一部を拳友諸氏と共有し、レンガを投げて玉を引く(拙い意見を述べて、貴重な意見を引き出す)事により自分を慰めたいと思います。 私は学も浅く、理解力も鈍いので、必ずしも「混元太極拳」の深遠な奥義を理解できていないので、きっと多くの点を見落とし、本質を外し枝葉末節に走ってしまったと思いますので、良識のある方々のご助言をお願いします。 この論文では、5つの側面について詳しく説明したいと思います。

1.「混元太極拳」は伝統文化の精髄を継承している。

2.「混元太極拳」は、伝統文化の偉大な「大道」を継承している。

3.「混元太極拳」は古典太極拳の練習方法の真髄を回復している。

4.「混元太極拳」は、中国武術の技撃の魂を維持しています。

5.「混元太極拳」科学的な練習体系を確立しています。


  1. 「混元太極拳」は伝統文化の精髄を受け継ぐ

「太極」は中国古来の哲学的概念である。 宇宙の起源という意味を持っています。 文字の歴史が証明しているように「太極」という言葉は、《周易·系辞》に始まる。即ち「易に太極あり、両儀を生ず」「一陰一陽を道となす」と示されている。 この文脈での "有 "は、"~から来た"と訳すことができる。 "易は太極を持つ "とは、易経が太極から来たものであることを意味します。『易緯・乾鑿度』によると、「易は太極に始まり、太極は分かれて二となる。」という。これが陰陽です。周易は占いの筮書であり、占いは未来を予測することであることを知っている。周易は占術書であり、占術とは未来を予測することであることが分かっている。太極の道は時間的に言えば、過去、現在、未来は太極の理に由来している。つまり、太極は天地万物の存在の道理である。 荘子-大師曰く、「道....は太極の先にあって高さを為さず、六極の下にあって深さを為さず、先天的に生まれて久しく為さず。上古に長けて老いを為さず この場合、六極は天地四方の意味と上下限を指し、太極は最大限を指す。 以上のように、広義の太極とは、四方や上下、時間や空間における宇宙の営み、万物の存在や変化を知らせる「道」を指し、狭義の太極は、古代中国の哲学者や書記の間で、次のようないくつかの意味を持つことが分かっている。 狭義の太極は、古代中国の哲学者や経済学者間で、「生命エネルギー(元気)」の意味での太極(『漢書・律暦志』、漢-鄭玄・王充、唐-孔英達、宋-張作、清-王夫子)、「図」、「神」で「太極」を解釈する(宋・陳と周敦頤)、「道」、「心」で「太極」を解釈する(宋・邵雍)、「太極」を「理」で表現する(宋・朱熹と二程)です。①

「混元太極」の修業思想はまさに以上の古人の太極の「理」と太極の「道」に基づいている。だから馮師は自分の練功(稽古)の思想を次のように述べた:「稽古は静寂の時を待つべし、静寂なくして動の妙を見ず。」、“拳を稽古するのは無極から始め、陰陽開合を真剣に求めます”。これらはすべて太極の理に基づいている。この思想は中華上古時代に形成された太極文化の最良の継承である。この道理に基づいて、太極拳を練習すれば経絡は疎通し、体を丈夫にし、体内エネルギーを強くし、寿命を延ばすという目的を達成することができるのです。

「混元太極」は「太極の理」に基づいているだけでなく、特に「混元」の意味を強調している。混元とは何か?

「混元」という言葉を考察してみよう。宋・張君房が集めた道家の典籍『云笈七签(雲笈七簽)』(巻二)に、「混元は、混沌の前の生命エネルギーの始まりを表す言葉である。」とあります。

②ここでいう「混元」とは、生命エネルギーの状態の始まりのことであり、宇宙と人体の両方を指すことができる。 この世の万物は、内なる空と外なる無で成り立つ混沌であり、混沌の前に元気(元のエネルギー)があり、このエネルギーによる感覚(精感)が真の一体感を生み、気の調和が元気(元のエネルギー)を生むのです。気の動きは天と地を確立し、万物を変容させます。

我が国の古代気功の典籍『性命圭旨』は曰わく、「夫天地の太極、一息斯析、真宰自判、交映羅列、万霊粛護、陰陽判分、是太極、是『一生二』也、曰虚皇。陰陽既判、天地位焉、人は育焉、是『二生三』也、是曰混元」。これを意訳すると「宇宙の最初の頃、混沌一気が分かれ陰陽が判然とする。これを太極という。所謂一が二となる。陰陽二気ができ、天と地が形成され、人間が育つようになる。所謂二が三となる。これを混元という。」

③この話の意味は、天地の気はもともと茫漠として果てしなく、混沌としていて、霊気を含めて玄妙で、これは太乙で、これを「無始」と呼ぶ。天地が始まった当初、元気は絶えず流れて鼓動し、虚空の境は急に開いたり閉じたりして、陰陽の二気は互いに感応して、白黒の二色は互いに融合して凝集して、“ある”と“ない”は互いに追いかけて求めて、混沌とした光景を呈して、希薄で虚静で神聖が極まり、ぼんやりしている中で中正の準則を確立している、これが「太易」で、“元始”と称します。天地の太極は混沌の気が陰陽二気に分かれた後、清らかな気が陽となって天に上昇し、濁った気が陰となって地に下降し、天地陰陽が二つに分離した処、つまり太極であり、これを「虚皇」と呼ぶ。陰陽二気が分離した後、天地はそれぞれその所を安んじ、人ができて、これは「二生三」と呼ばれ、これを又「混元」と呼称する。

『易緯・乾坤鑿度』によると、「太易あり、太初あり、太始あり、太素あり」、「太易はあまりにも変わりやすく、民に教えて倦まない。太初の後に太̪始があり、太始の後に太素がある。万物は質があり、質は混元から離れていない」。

④以上の「混元」という言い方を総合すると、昔の人が「混元」を指していたのは、宇宙や人体の中の陰陽混沌の気を指していた。宇宙間のいかなるものにも、その特定の「混元」の「道」がある。

『性命圭旨』(亨集)の中で、道家の丹功の角度から、「混元」、「太極」の意味に対して別の一節は次のように述べている:「両親は想いが交わる時、円いだけ、先天の少しの霊光をきらきらと光らせ、母胞にぶつかって、このように○だけである。儒教ではこれを「仁」と呼び、「無極」とも言う。仏教ではこれを「珠」と言い、「円明」とも言う。道教ではこれを「丹」と呼び、「霊光」とも言う。すべてこの先天的な一気、混元から精までを指す。身体の源であり、生命の始まりであり、生命の基盤であり、すべての変容の祖先である。 ......身体の原点は太極から発しているのである。 これは、人体における「混元」の意味について、最も早く記述されたものである。 生命形成の初期における生来の気の陰陽の混在の先天の気を指す。

そのため、太極拳を「混元」という言葉で要約することは、中国古代道家内丹功の精華と核心を受け継いだことを意味する。固爾は、「混元太極」の名で太極拳を命名したが、実際には太極拳の本来の姿と本来の訓練法を回復するための要所であり、「盛名の下で、ついにその実を発揮した」と言える。なぜならそれはまず「拳を練るにはまずその理を明らかにすべき」という「理」の所在が、数千年にわたる中華文明の伝統文化の蓄積である事を我々に教えてくれたからです。次に、この「理」の所在は、宇宙と人体の自然成化の「道」に合致し、万事万物がそうであることを説明する。西洋文化でさえこの「道」を避けることはできない。近代西洋哲学の巨匠カントが提案した宇宙形成の「原始星雲仮説」は、中国古代太極の「理」とは異曲同工(酷似している)なる妙がある。⑤

だから「混元太極」の理論⑥は中国の伝統文化を理論の源とし、それによって、内在的な広く奥深い理の基礎を持っている。


[原文]

 为什么说“混元太极”恢复了太极拳的原本练法

                     张   禹   飞(一清道人)

由一代太极拳宗师冯志强先生创立的“陈式心意混元太极拳“(以下简称“混元太极”)以道家内丹功为基,以陈式太极缠丝内功和心意六合内功为本,以陈式太极拳和心意六合拳为母,建立了科学的、完整的“混元太极”练功体系。它拳功一体,内外双求,性命双修,练形合道。是太极拳发展史上的又一个里程碑,为后世留下了宝贵的精神财富。我认为“混元太极”的精华就在于它恢复了太极拳的原本炼法,还太极拳以本来面目。自己跟随先生习“混元太极”多年,对混元太极之体悟积累了一点心得体会,今借《混元太极》一角与诸位拳友交流,抛砖引玉,聊以自慰。因本人才疏学浅、悟性迂钝,不一定能深刻领会“混元太极”的博大精深涵义,定有挂一漏万、舍本逐末之处,望有道之士不吝赐教是幸。本文从五个方面予以阐述:

1、“混元太极”继承了传统文化之精髓 ;

     2、“混元太极”弘扬了传统文化之大“道”;

3、“混元太极”恢复了古典太极拳的练法精髓 ;

4、“混元太极”保持了中华武术的技击灵魂 ;

5、“混元太极”建立了一个科学的练功体系 ;

一、“混元太极”继承了传统文化之精髓:
    “太极”是中国古代的哲学概念。涵有宇宙本源之义。自有文字记载史考证,“太极”一词始于《周易·系辞》:“易有太极,是生两仪”、“一阴一阳之为道”。此处之“”,可译为“出自于”。“易有太极”就是易经出自于太极。《易纬· 乾凿度》曰:“易始于太极,太极分而为二”。这就是阴阳。我们知道,周易是一部占卜的筮书,占卜就是预测未来,可见,太极之道从时间上说,过去、现在、未来是源于太极之理的。以此言之,太极就是一种天地万物存在的道。《庄子·大宗师》曰:“夫道……太极之先而不为高,在六极之下而不为深,先天地生而不为久。长于上古而不为老。”。此处,六极则是指天、地四方和上下极限之义,太极则是指最大的极限。由上可见,广义的太极,指总括四方上下、涵盖宇宙时空的运行之“道”以及推究万物存在及变化之“理”;而狭义的太极,在中国古代哲学家、经学家那里有几种指称涵义,如:以“元气”释太极《汉书·律历志》;汉·郑玄与王充;唐·孔颖达;宋·张载;清·王夫之);以“”、“”释“太极”( 宋·陈抟与周敦颐);以“”、“释“太极”(宋·邵雍);以“”释“太极”(宋·朱熹与二程)。

    “混元太极”的练功思想正是依据了以上古人的太极之“”与太极之“”。所以冯师阐述了自己的练功思想:“练功须待入静时,不静不见动之奇”、“练拳须从无极始,阴阳开合认真求”。此皆据于太极之理。这一思想是对中华上古时代形成的太极文化的最好继承。依此理,就可达到练太极拳疏通经络、强身健体、内劲浑厚、益寿延年的目的。

“混元太极”不仅依据了“太极之理”,而且特别突出强调“混元”之义。然何谓混元?

考“混元”一词,宋·张君房所辑道家典籍《云笈七签》(卷二)曰:“混元者,记事于混沌之前,元气之始也。”此处“混元”之义,是指元气的开始状态,既可指宇宙,也可指人身。对世间诸事物而言,内混沌混沌之前为混元,精感生真一,和气生混元,气运立天地,化施通万物。

我国古代气功典籍《性命圭旨》曰:“夫天地之太极,一气斯析,真宰自判,交映罗列,万灵肃护,阴阳判分,是为太极,是为‘一生二’也,是曰虚皇。阴阳既判,天地位焉,人乃育焉,是为‘二生三’也,是曰混元”。这段话的意思是说:天地之气原本是茫茫无际、混沌莫测的,包含灵气而又玄妙至极,这就是太乙,称之为“无始”。天地开始之初,元气不断地流动鼓荡,虚空之境忽开忽合,阴阳二气互相感应,黑白二色互相融合凝聚,“有”与“无”互相追逐求取,呈现一派混沌景象,冲淡虚静又神圣至极,在恍惚之中确立了中正的准则,这就是太易,称之为“元始”。天地之太极在混沌之气判分为阴阳二气后,清气为阳上升为天,浊气为阴下降为地,天地阴阳两离分,就是太极,称之为“虚皇”。阴阳二气分离之后,天地各安其所,就有了人,这叫“二生三”, 故称之为“混元”。

   《易纬·乾坤凿度》曰:“有太易,有太初,有太始,有太素也”;“太易变,教民不倦;太初而后有太始太始而后有太素;万物,素质者也;质素未离混元”。综合以上“混元”之说法,即古人所指“混元”,乃是指宇宙或人体中的阴阳混沌之气。宇宙间的任一事物,都有其特定的“混元”之“”。

在《性命圭旨》(亨集)中,从道家丹功的角度,对“混元”、“太极”之义另有一段描述如下:“父母一念将媾之际,而圆陀陀,光烁烁先天一点灵光,撞于母胞,如此而已。谓之“”,亦曰“无极”; 谓之“”,亦曰“圆明”; 谓之“”,亦曰“灵光”。皆指此先天一气,混元至精而言。实生身之源,受气之初,性命之基,万化之祖也 …… 究竟生身本原,皆从太极中那一些儿发出来耳”。这是最早对人体“混元”之义的描述。它是指生命形成之初始的阴阳混合先天之气而言的。

因此,用“混元”一词来概括太极拳,又意味着继承了中国古代道家内丹功的精华及核心。固尔,以“混元太极”之名来命名太极拳,实是恢复太极拳本来面目和原本练法的至要所在,可谓“盛名之下,终赋其实”。因为它首先告诉了我们:“练拳须明理”的“”之所在,是几千年中华文明的传统文化积淀。其次说明,该“”之所在,乃是指符合宇宙与人体的自然成化之“”,万事万物皆如此。就连西方文化也不能避开此“”。近代西方哲学大师康德提出的宇宙形成的“原始星云假说”,与中国古代太极之“”颇有异曲同工之妙。

所以“混元太极”的理论 是以中国传统文化作为理论渊源的源头,从而,就具有了内在的博大精深之理的根基。