2017年4月26日水曜日

勁について

内功の武術に於いて勁は重要な要素です。この勁は触れて理解し、自分の中に出来て理解しうるものです。私が過去やってきた空手に関して言えば勁は存在しませんでした。その空手の威力はスピードとタイミングによって得られているものでした。太極拳を始めて何が一番違ったかというとこの勁が一番違っているところでした。勁はスピードによって出すものでは無く、内気によって生み出されるものです。従い、勁は気による力という事ができます。これはスピードが無くても生み出せるので、太極拳のようなゆっくりの動きでも産む事ができるのです。ただ、その太極拳に勁があるか、無いかは勿論触れれば分かりますが、勁がある人から見れば一目瞭然です。これは非常に便利なものでスピードによって生み出された力では無いので間合いに関係なく力を発揮する事ができます。従い、実戦に於いても非常に有用なものとなるのです。所謂ワンインチパンチと言われている寸勁も太極拳を身に着けた人であれば誰でも簡単に出す事ができます。
ではこの勁が太極拳の専売特許かと言えば、そうではありません。内功武術は全てこの勁を持っています。内功武術と言えば、太極拳、八卦掌、形意拳(含む心意拳)等です。空手に勁が無いかと言えば、私は有ると考えています。いやあったと考えています。実は空手の有名な型である三戦が勁を練る型と思われます。太極拳の練り方で三戦を行えば実にしっくりといくのです。ですから沖縄で、伝統を伝える空手では太極拳の練り方で三戦を練っていたのではと思われるのです。空手で三戦をどうして重視してきたかもそれが内功を練る型であるのであれば理解ができるのです。
太極拳をやっていて感じるのは勁の無い先生から教えて貰った太極拳はいくら形が綺麗でも勁が出ていない人が殆どであると思えるのです。一方勁が出ている先生から教わっている人はやはり勁が出ている人が多いと思えるのです。空手も同様ではないかと思えるのです。空手も勁が元々あって勁がある人が教えていたので、勁が出ていたのではないかと。なぜそう思えるかというと空手の突きは左右の肩を出さずに突きをいれますが、この伝統的な突きでは威力があまり出ず、人を倒す事はかなり難しいと思います。従い、私がやっていたフルコンタクトの空手では肩を出して突き抜くやり方をしていました。しかし、もし空手に勁があれば従来の突き方で十分威力が出るのです。従い、空手の型も勁が出る事が前提になっていると考えられます。これは私の推論ですが、空手をやって来られて伝統太極拳に変わられた人は同様の感想を持つ人が少なからずいます。

2017年4月12日水曜日

四天王 陳項

陳項老師は功夫にかけては馮志強老師に次ぐ者と言われていました。週末に地壇公園で一般学生向けの練習として内功、套路と行われ、それが終わるのが8時半位ですが、それから12時迄皆で推手を行っていました。この時は拝師弟子が集まり、皆に稽古をつけるという具合でした。その中で陳項老師の功夫は抜きんでていました。私も何度か陳項老師と手合わせをしましたが、陳項老師の推手は後ろに飛ばされるのでは無く、上に飛ばされたものでした。陳項老師と私の直接の師である張禹飛老師は馮老師が作成した内部教材で馮老師の相手役として出ています。恐らく馮志強老師が両腕としてその二人を教材に使ったのだと思われます。ところが、ある時陳項老師と馮老師が推手を行いました。あっという間に陳項老師が崩されてしまったのには驚きでした。

2017年4月1日土曜日

四天王 呂宝春

馮志強門下の四天王と言えば武器の張禹飛、徒手の呂宝春、技術の唐跃新、功夫の陳項というのが、私の独断と偏見で選んだ4人です。唐老師は亡くなってしまわれましたが、私が滞在していた90年代後半の頃は特に呂老師が有名でした。月壇公園で特に推手を教えておられ、並ぶものがいないと言われていました。その頃は後に功夫で名を馳せる陳項老師もまだ駆け出しの頃でした。呂老師は王培山の元で元々八極拳を習ったおられ、王老師が後継に嘱望していた人物と聞いています。その後馮老師に挑戦し、敗れて後は馮志強老師に拝師されました。それでも王老師は呂老師に後を継ぐように強く要望され、呂老師もかなり迷ったあげく馮老師に決められたとの事です。当時、馮老師と王老師が仲が悪いというのは北京の武林では有名な話でした。従い、呂老師も大変困ったと思われます。呂老師はその後欧州に指導に行かれ、現在は北京には居られません。2000年代初めのある時、張師父、呂老師、唐老師が集まって真剣に話合いを持ったという事です。それは正宗の陳式太極拳は陳発科老師により、北京にもたらされ、馮志強老師によって正しく受け継がれた。ただ、馮老師は息子が居られず、今後どのように三人が協力して発展させていけば良いかという事がその討議の内容であったという事です。呂老師が欧州に行かれていなくなり、唐老師がお亡くなり、現在は張師父と陳項老師が北京で陳式太極拳の継承、普及されているという事になりました。