2021年4月2日金曜日

北京陳式で推手大会が無い理由

 北京陳式では練習方法としての推手は日頃から行っており、又北京陳式の大会等もありますが実は推手大会がありません。推手大会が無い理由を小生なりに考察してみました。 推手は元々聴勁を養う為に行われるものです。従い、聴勁が出来て相手に勝ったのかどうかが重要になります。聴勁の感度を上げるにはどうしてもこちらから意を出さない事が重要になってきます。こちらが意を出さない状態で脳内が静かになっていると相手の勁が良く感じられるようになってきます。又意がでると気も出るので相手とは調和する事が難しくなります。調和ができないと感度が落ちてきます。意が出ない状態だと気が出ずに相手と気が反発しあう事は無くなります。気が反発しあう事がなくなると調和ができるようになります。調和ができると相手の勁を聴く事が格段にやさしくなります。さてこの状態をいかに作り上げていくかが重要になると思いますが、競技となった場合どうしても意が出やすくなり調和が取りにくくなります。まさに求めている状態と反対の状態になりやすいというのが正直な感想です。競技は勝敗を決める場です。一方推手は本来勝敗を決める必要の無い場で、自分の静けさをキープしていればそれで良いのです。その静けさの深さを掘り下げていく場が推手です。このようにして考えると北京陳式では推手の練習はするものの競技としての推手が無いのも一理あると思われます。だからと言って競技推手が悪いと言っている訳ではありません。そのような競技の状況でも静けさをキープできれば問題はありません。ただ一般には競技の勝敗に拘ると本来の目的から外れてしまうので、そこを懸念して北京陳式では競技にしなかったのではと推測されます。