2019年12月2日月曜日

身を守る武術

私が陳式太極拳を習ってきて思うのはこの太極拳は身を守る武術であるというのが最近の実感です。何を今更何を言っているのと言われるかもしれませんが、これが正直な気持ちです。
まず最初に暴力から身を守る武術であるという事です。太極拳は陳式太極拳に関わらず須らく「先至後発」(後の先)を旨としています。即ち自分から先に手を出す事はありません。そこが格闘技との大きな違いでもあるのですが太極拳の大きな特徴でもあるのです。これは相手を倒す事が目的では無く、自分の身を守る事が目的な為そのような形態になったといえそうです。
その次に病気から身を守る武術です。この陳式太極拳(ここでは陳発科の陳式太極拳です)では病気から身を守る内功法が各種存在します。例えば高血圧等の生活習慣病等も顕著に改善されます。又その他難病にも改善効果が出ています。これらは身を守る事に直結していきます。
3つ目に精神的な安定をもたらす事によりトラブル(口論も含む)から身を守る事に繋がっています。相手からの攻撃を無力化する化勁という技術がありますが、これえを使うには攻撃心をなくす必要があります。これらの技術を身に着ける過程で精神的にも攻撃的ではなくなってきます。又実生活や実社会でもこの技術を使い相手からの攻撃、口撃を無力化しよういう気持ちになってきます。従い、精神的には非常に安定してきます。
以上から陳式太極拳は物理的、精神的攻撃から身を守る武術と言えるわけです。

2019年11月1日金曜日

単鞭の勾手に関して

太極拳と言えば単鞭を想起される方も多いかと思います。この単鞭について少し述べてみたいと思います。太極拳各流派でこの単鞭が異なっていますが、この単鞭の際に手を鈎のようにします。これを一般的に勾手(ごうしょう)と言います。楊式太極家の場合は指を伸ばして何かをつまむような恰好を取る処が多いです。これに対し陳発科の陳式太極拳に伝わっている一つの方法は「風眼」といい、親指に人指し指と中指を被せる形で横からみると眼の形をしています。従い「風眼」と言われています。専門的な話ですが、これは勾手をそのまま拳としても使えるようになっています。その使い方には種々口伝があります。これは陳発科老師から馮志強老師への伝承なので陳発科老師が使っていた事は間違いありませんが、陳式の先祖からの伝承なのか陳発科の独創なのかは分かりません。というのも陳家溝の勾手は陳発科老師のものとは異なっているからです。いずれにせよこの勾手を見るだけで陳発科の太極拳がどうかわかるわけです。
多くの人は套路が伝わったのでその太極拳が伝わったと思いがちですが、実際は套路はその太極拳の一部に過ぎません。套路以外の練習方法や、套路を打つ時の口伝、套路の招式の些細な形の違い、こだわりも含めて伝わる時にその太極拳が伝わったと言えるのではないでしょうか。そしてやはりその太極拳の功夫が伝わる必要があります。

2019年9月30日月曜日

内臓のマッサージ

生前馮志強老師が太極拳は内臓のマッサージにもなると言われた事があります。当時は「はー、そんなもんかな」程度に思っていました。その後太極拳の動作に従って内臓が動き始めるとこの事を言われていたのかと今更ながら納得した事が昨日のようです。その時初めて今まで内臓が動いていなかった事に気付きました。要は手や足がバラバラで全体として動いていなかったという事です。又丹田の動きも殆どなかった事に気がつきました。よくこのような事があるのですが、当時何気なく聞いていた事が後からこれだったのかというように感動を伴って納得する事がしばしばあるのです。この内臓のマッサージもその一つでした。皆さんもここに書いている事が後でああ~、この事を言っていたのかと気付かれると幸いと思い書いているのです。

2019年9月1日日曜日

姚宗勲老師にまつわる胸の纏絲勁

王薌齋老師と言えば大成拳の創始者として有名ですが、その弟子である姚宗勲も非常に有名な老師でした。
馮志強老師は大成拳の王選傑老師との関係は良くありませんでしたが、王選傑老師の兄弟子の姚宗勲老師とは非常に良い関係であったと言われています。これは馮志強老師から張老師がお聞きになった話なので間違いは無いと思っています。
扨、ある時姚宗勲老師が馮老師の胸を拳で打つから、それを化勁できるかと馮老師に言われました。馮老師は胸打たれた瞬間に胸の纏絲勁を使ってその攻撃を無力化されたそうです。
それを体験して姚宗勲は馮志強老師の事を絶賛されたそうです。これは飽くまで2人の間の遊びの話なので姚宗勲老師がどこまで本気で打ったかは分かりませんし、どちらが強いとかいう話ではありません。その様な事ができる良い関係にあったという事です。
さて我々陳式太極拳を学ぶ者にとって大事なのはこの纏絲勁です。胸の纏絲勁は難度が高い纏絲勁と言えるでしょう。この胸の纏絲勁を含む人体の18球の纏絲勁を良く練る必要があります。 これはそれぞれの纏絲勁の練り方が口伝となっており、いかにこれが大事であるかという事です。陳発科老師は弟子の練習を見る時でも椅子に座って手をぐるぐると回していたそうです。


2019年8月1日木曜日

北京の陳式太極拳

先般(2019年7月20日)北京陳式交流会を行ない、それぞれ一路を表演比較しましたが、やはり宗家、陳発科老師の共通の思想が流れている事が確認できました。因みに陳発科の息子の陳照圭老師も宗家の太極拳を新架式というのはおかしいと言われていたと聞いていましたが、今回北京陳式のある老師は北京で陳瑜(陳発科老師の孫)さんと飲んでいた時に同様の話が出たとの事です。
宗家が良いとかの話ではなく、風格が違ってきているので、陳照丕先生が教えた陳家溝の陳式太極拳と陳発科が教えた北京の陳式太極拳のそれぞれが、お互いの風格を保持しつつ発展すれば良いと感じています。
さて今回の交流会を通してみれば雷慕尼老師の套路と田秀臣系の套路とはやはりかなり近いものを感じました。遠藤先生の套路は表面上は他のお二人の老師の系統と似ているものの、やはり中身は馮志強老師の混元太極拳を彷彿とさせるものがありました。因みに北京陳式の間では田秀臣老師の套路が外形は一番陳発科老師に似ていると言われています。
北京陳式の套路を馮志強老師は老架式と呼ばれていましたが、それは混元太極拳の套路を念頭に置いての事と思います。既に書いたように陳発科老師がこの北京陳式の老架式を7か所変え、馮志強老師が陳発科老師の指示に基づき更に7か所変えて陳式心意混元太極拳ができました。これは敢えて言うなら北京陳式の新架式と言えるかもしれません。もっとも混元太極拳を伝える小生の力不足もあり、混元太極拳が正当な評価を得ているとは言い難いのは忸怩たる思いがありますが。
それはさておき、今回色んな老師から伝え聞く陳発科老師の興味深いエピソードが披露されましたので、いずれそれらを纏めてみたいと思います。
今後は北京陳式の各老師方と切磋琢磨しながら、この宗家の太極拳を発展させる事ができれば、これに勝る喜びは無いと思った次第です。

2019年7月1日月曜日

陳式太極拳の内功法

太極拳を伝える際に套路を教えれば教えられる方も満足し、誰々の太極拳が伝わったと考えるが、実際は套路は太極拳の重要な一面ではあるが、全面では無いと考えます。やはりもう一方の重要な練習方法は内功法と推手と思われます。この中で内功法に関しては混元太極拳は胡耀貞老師から伝えれられた心意拳の内功法も伝わっていますが、陳式太極拳もそれに劣らず膨大な功法が伝わっています。私が知る限り、約40の内功法が伝わっています。又棒気功、尺気功を入れれば棒尺だけで20以上が伝わっています。従い、60以上の内功法が陳式太極拳から伝わっているという事です。それだけ内功法を重視しているという事でしょう。陳発科老師は陳式太極拳は陳さんの物でも楊さんの物でも無いと言われ、性名に関わらず拝師の弟子には奥義を伝えていったと言われています。従い、これらの膨大な内功法が我々に伝わる事になったのだと思います。
因みに内功法の面白い処は身体が熟成されてくるに従って、妙に身体が納得するという事です。これは非常に不思議な事です。皆さんも是非陳式太極拳の然るべき先生に付き、内功法を味わわれると良いと思います。例えば纏絲内功ならば纏絲に沿って気が身体を貫く感覚が生じてきます。築基の内功なら丹田が熱くなり、足がしっかりと地についてくる感覚が生じてきます。ああ、これが陳式太極拳の内功法なのだと実感できます。非常に面白い世界ですが、これはある程度練らなければ得られません。
一方、混元太極拳は両者の内功法を取っていますので、正に膨大な量となります。従い、馮志強老師はこれらの内功法を整理し、混元内功として纏められました。又、それを内部テキストとして書籍とし、CDもセットで弟子に配布されました。後進の我々に取っては非常に有難い事です。このような作業が無ければ膨大な内功法を前に途方に暮れる事、間違いありません。最近はこれら先人の血と汗の結晶をきちっと身体で受け取って行かなければ申し訳無いとの気持ちで一杯です。

2019年6月1日土曜日

功夫(コンフ)の上がり方

一般に功夫の定義は修練による力(底力)という事になると思います。然し乍ら太極拳では(特に馮老師の太極拳では)内気による力を指す事が一般的でした。その上でこの功夫を重視し、まずは功夫をつける事を目指すという練習方法で、実際弟子の功夫は格別のものがありました。さて自分を省みるに功夫は至って貧弱ではありますが、生徒を教えてみて、この功夫をつける速度に大きく差がある事に気付きました。勿論練習量が多い人は功夫が上がる速度が速いのは当たり前ですが、略々同じくらいの練習量であっても速度にかなりの違いがあります。又、同じ練習量にも関わらず、ある時急激に功夫が上がる事も多く目にしてきました。一体この違いはどこから来るのか、速度が速い人、遅い人、それぞれにどのような練習をしているか聞いてきて最近なんとなくその原因が分かってきました。まず站椿の形が大きく影響しているらしいという事です。正しい形になった途端に功夫の上がり方が大きくなるようです。特に命門に対する要求が満たされているかどうかが大きな要素と言えそうです。これが出来ていると功夫の付き方が速いと言えそうです。
2番目に意守丹田が出来ているかという事です。要は雑念なくできているかがポイントです。もしくは雑念が出ても直ぐに気が付き雑念を捨てられるかどうかがポイントと言い換えても良いかと思います。この辺の心の納まり方次第で功夫の上がり方がかなり違うようです。もし站椿功の際に雑念を追いかけていたとしたら、それは站椿功では無い事は明らかでしょう。外からみたら分からないように思う人もいますが、自分の心が澄んでくると案外、他人の心的状況も結構分ったりするものです。
3番目に功夫の高い人と一緒に練習しているかどうかも大事な要素のようです。功夫の高い人と一緒に練習していると功夫の上がり方が速いのは今まで北京でも見てきましたし、日本に戻ってからも良く目にする光景です。理由は良く分かりませんが、功夫の大きい人の気を貰うのではと考えています。

2019年5月1日水曜日

馮志強老師に褒められた思い出

馮志強老師に褒められた思いでをちょっと語ってみたいと思います。
自慢話かと思われますが、我慢して聞いて下さい。実は褒められたのは1回しか無いのです。套路を早く正確に(と言っても外見だけですが)覚えるのでお前は賢い(聪明)と言われた事はよくありますが、心底褒めているようではありませんでした。ある時山東省で混元太極拳の大会があるとの話があって、日本からも多くの人が参加するとの事だったので内容をお聞きしようとした時も、お前は関与するなというように言われた事もあります。他の日本の弟子とは違ったあたり方でした。SARSが中国で流行った時も日本のマスクを持っていきましたが、そこで立ってなさいと言われ何時間も站椿功をした覚えがあります。その時は馮老師は他の方と世間話をしているような具合でした。褒められた事もほとんどなありませんでした。太極拳を始めて2-3年がたった時にある八卦掌の人達が2-3人馮老師を訪問され、馮老師は公園で話をされました。その時の一人は話をろくに聞かず、私に推手をやろうと言って来ました。実際推手ではなく単なる押し合いでしたが、その時私が簡単にその方を押し切ると、その方は5年以上站椿をやっていると言って感心しておられました。その様子を馮老師は見ておられ、その後功夫が出てきたなと言って喜んでおられる様子でしたが褒められたというものではありませんでした。
一度だけ明らかに褒められた事があるので、その時は本当かと思いました。
老師が拝師の弟子に与える套路46式を小生にも46式を完成した時に教えて頂きました(小生はその時点で拝師していませんが)。ある時この套路を馮老師にみて貰った時でした。通常は砲硾を打つ時は発勁を行わずに打ちますが、この時は発勁を伴って打ちましたので、それを咎められるかと思いましたが、案に相違して、その時に初めて褒められたのです。その後、「疲れただろう。そこで暫く休んでいなさい。」と言われたので休んでいると、馮老師が地壇公園のあちこちから知り合い、友人を呼んで来られました。そして知り合いの人達が集まると「もう一度46式を打ちなさい。」と言われました。明らかに小生の套路をそれらの人に見せる為でした。そしてもう一度発勁をして46式を打ちました。その後馮老師は「彼は日本人で堀仁彦」というと言われ皆に紹介してくれました。その頃を境に馮老師の小生に対するあたり方が変わってきました。ある時北京の空港に到着し、お電話を入れると「お前、今何処ににいる? 今からそこに行く。」と言われた時にはびっくりしました。御自宅に呼ばれる機会も増えてきました。又套路の修正もかなり細部に亘って行われるようになりました。今では懐かしい思い出です。

2019年4月1日月曜日

勁が早く体現できる方法

伝統太極拳では当たり前の勁が日本の制定拳ではあまり見られませんし、又あまり問題にもなりません。日本人は型が好きなので、型に合わせて勁が出ていようと出ていまいとあまり気にせず套路を打つ事は多くの人に楽しみを与えており、それはそれで結構な事です。斯かる無勁太極拳は日本特有の一つの新しいジャンルとして既に人数的にも確立されていると考えています。決して貶している訳ではありません。これにより多くの高齢者が老後の楽しみとして享受しているので素晴らしい事と心から賞賛しております。これからもどんどん日本式の勁の無い(勁に頓着しない)太極拳を広めて欲しいと願っています。
一方人数は少ないが伝統太極拳のように勁のある太極拳を欲する人もいるでしょう。そのような人に勁がいかに早く出せるかを私なりに考えた方法を紹介したいと思います。
①まず内功(武術気功)をやる事です。この内功は流派により異なります。ある流派は この内功が套路(型)であったりします。又は站椿功であったりします。まずこの内功により内気の充実を図ります。
②短い套路または套路の一部(これも長くないもの)を繰り返し練る事だと思います。
套路を練る時は意念を使い全身、全霊で練る事です。単に手や足を動かすというようなものではダメです。
この上記2つを練る事に集中すれば勁が出るのが早いでしょう。一旦勁が出始めると套路の数を増やす事や招式を増やす事はそんなに難しい事ではありません。そうして勁のある套路を完成させる事が比較的早くできるでしょう。

勁の無い無勁太極拳と勁のある伝統太極拳がそれぞれの役割を果たし両立する事がこれからの高齢化社会を迎える日本には必要かと考えています。

2019年3月8日金曜日

套路の練習

馮志強老師との練功の際には幾人かの弟子と練功する場合もあればマンツーマンで練功する場合もありました。マンツーマンの練功の際には自分が横を向けば老師が横に移動され、後ろを向けば後ろに移動されるという具合でした。その度に恐縮して私が移動しようとするのですが、手で制されて老師が移動されるという具合でした。それで何を学んだかたというと呼吸と動作だと今になって分かります。段々と練功の回数が増すに従って呼吸と動作が似てくるのです。それは目に焼き付いているし、体に染みついているので忘れられないものとなってきます。こうして套路が次の世代に受け継がれていくのであろうと思います。従い、当時馮老師に見せて頂いた色々な技等も、その時出来なかったものが、ここに来て出来るというようなものも少なくありません。あんな気で人を動かすなんで老師は出来ても自分は出来ないと思っていましたが、それらの事も自然と出来る身体になってくるのですから不思議です。しょっちゅう老師にお会いして練功すれば、何が違うといって、呼吸と動作が染みついて来るのが最大の違いです。年に一二回お会いするよりも、年に5-6回お会いする方が良いでしょうし、毎週お会いできれば更に良い事になります。ある北京陳式の大会でアメリカから来られた学生の方が北京の弟子や学生はなんで功夫があがるのが速いのかという話をしていた事がありますが、その内の一つが套路の練り方にあると言えるでしょう。

2019年3月1日金曜日

混元球と連動する混元太極拳

混元太極拳は陳発科老師と胡耀貞老師のお二人が太極拳の高い境涯は混元球の回転であると言われてきましたが、実際套路を練っていると混元球と手や動作が連動し始めるように出来ています。この回転を得るにはかなりの練りこみが必要で最低でも3年位はかかります。3年で全ての動作で混元球が体感できるというものでなく、少しずつ体感していきます。弊会のベテランでも全ての箇所で連動できている訳ではありません。然しながら連動し始めると色々な箇所が連動し始めます。これを読んでいる方は本当にそうなのかと疑問を持たれる事と思いますので、今後混元球の連動の箇所と連動すればどうなるのかを動画で少しずつ上げていきたいと思います。その動画を一つの参考にして内面を練っていって頂ければ幸甚です。又混元球以外に開合によって威力が出ている箇所もあります。動作の開合から意念の開合で力が伝わっている箇所もありますので、これらも動画で少しずつ上げていきます。なぜこのような動画を上げるのかと言えば、申し訳ありませんが、混元太極拳において動作のみが混元太極拳で中身が混元太極拳になっていない方が散見されるからです。と言っても中々理解できないでしょうから動画にて混元球が動き始めるとどういう事が起こり、どういう事ができるようになるのかを分かりやすく解説する事が皆さんの道標として必要かと思うこの頃です。それがひいては馮志強老師や陳発科、胡耀貞両祖師に報いる事かとも考えています。

2019年2月2日土曜日

套路に関する考察

最近介護施設で高齢者を教え始めて今の套路はこれで良いのかという疑問に突き当たっているこの頃です。元々套路(型)は太極拳の技を集めたものです。これを呼吸と動作を合わせ気功にしている訳です。しかし介護施設等で教えていると気功なら良いが太極拳はどうもと敬遠される傾向にあります。太極拳の套路は動気功ですと言って少しは套路も練っていますが、一般の人が太極拳を敬遠する主な理由は下記2つに集約されると思います。
1つは太極拳のような動作はできないという事です。これは制定太極拳で足を上に上げる動作や片足で立つ姿勢を見てのものと思われます。
2つめは動作が覚えられないという事です。実際太極拳を止められた方の多くは套路が覚えられないとの理由で止めています。
上記を鑑み混元太極拳を簡単にし、24式を更に8式にした「養生8式」を作りましたが、これでも難しいと感じており、この内最初の起式と金剛搗碓の2式をメインに練っています。実際健康目的で武術をやらない方が太極拳の技を覚える必要は無いと思っています。従い、最近の結論は太極拳の基本的な動作「掤(ポン)、捋(リュー)、擠(ジー)、按(アン)、采(ツァイ)、挒(リエ)、肘(ジョウ)、靠(カオ)」を移動しながら行う「八法」という練習方法があるのですが、この内の「掤(ポン)、捋(リュー)、擠(ジー)、按(アン)」の「四正」を取り出し、これを練る事だけで良い気がしています。これを練習すれば早い時期に基本的な勁が出てくるので太極拳の奥深さも味わえるのではないかと思っています。又勁が出ているかはお互い検証しながら進めれば楽しく進められるので尚、良いでしょう。
ここで少し制定太極拳について言わせて貰えば、制定太極拳24式は多くの人が入門の時に練る太極拳として行われていますが、この24式は入門には全く向いていないと考えています。というのも制定24式は楊式太極拳をベースに作られていますが、楊式は最初から最後までファンソン(通常リラックスや脱力と訳されているもの:詳しくは後段で説明します)で通していく非常に高度な太極拳です。多くの方がこのファンソンが出来ず、又出来ていない事も気が付かず、結果勁が出ず、太極拳の面白さが分からず止めていくというパターンではないかと思います。套路を覚えるのが好きな人は続くのでしょうが、それ以外の人は続かず止めていきます。因みに、ファンソンは多くの人に誤解されていますが、単なる脱力ではありません。内気の充実により内気に裏打ちされた勁が出てくる為力んだ力を入れる必要がない状態を言います。何れにせよ制定24式は私も好きな套路ですが、入門には全く向いていない套路と思います。
太極拳の魅力を皆が味わえ、更に太極拳を広めていくには武術として太極拳をやる人は別として、健康志向で太極拳を始める人には別の練習メニューがあって然るべきと思います。その意味では各流派の代表が集まり、健康志向の人の要請に応える簡単な5式位の套路を編纂するのも良いかと思います。

2019年1月1日火曜日

太極拳は組手をするのか?

最近当会の会員が掛け試し稽古会等の外部の手合わせ稽古会等に参加し、一様に驚かれるのは「太極拳は組手をするのか?」という事です。又当会の人間が組手の練習の為に大学空手の組手に参加させて貰った時には、太極拳は拳なんですねと訳が分からない驚かれかたをしたとの事でした。勿論修行の一環として組手を行う事は中国では当たり前ですが、この疑問が何故起きるのか、ここに日本の太極拳の実情が全て集約されているように思います。即ち、組手を一切せず、武術として追及しない太極拳が一般的だという事です。勿論、これには例外もあります。ある名人は組手を殆どせず、套路を練るだけで組手の練習をしたかの如く、相手を制する事ができると言われています。従い、組手はしないが武術としての太極拳がそこには存在するという事です。とまれ、これはさて置き、中国では伝統太極拳の5流派(陳、楊、呉、武、孫)は全てと言わない迄も武術として太極拳を追及している人が少なからずいます。但し、中国政府が1956年に創った国家制定太極拳では表演のみというのが主流です。この流れが主として日本に入ってきているので、上記の様な質問となるのでしょう。私は常々感じているのは日本の太極拳は中国と違った別物になってしまっているような気がしています。即ち太極拳の上辺だけを真似して中身を真似しなかったのではという事です。日本独自の太極拳が悪いと言っている訳ではありませんが、武術として行う太極拳がもう少し市民権を持っても良いかなと考えています。こう言うと組手を行う実践太極拳のみを強調するように思われますが、小生の会では組手をしょっちゅうやっている訳ではありません。一定レベル以上の者の最後の仕上げ、検証として行っているのが実情です。ですから今でも組手を行うのは片手程度です。最初から組手を行うと太極拳の組手にならず、技術を磨く事ができないからです。だからと言って組手が不要な訳ではありません。然るべきタイミングで行う事は必要と考えています。表演のみの太極拳と武術の太極拳とがお互い市民権を得た形で発展していって欲しいと願っています。
ただ当会では武術として太極拳をやりたい人のみ組手を行っているので、望まない人に無理強いしている訳ではありません。健康になれれば良いという人は、そのようなプログラムで練習しているので、誤解なきようお願いします。