2001年12月31日月曜日

功夫

 太極拳で大事な物はなんでしょう?私は太極拳の套路を練習する際によく馮老師にそのワザの使い方を聞いたものでした。その意図は太極拳の套路を練習する際に意念が働かず"散"となると言われたので各技の用い方を聞き意念を用法に合わせ集中できるようにしたのでした。これはこれで間違いではないのですがある時馮老師が一番大事なのはであると言われました。功は功夫と言い換えてもよいと思いますが要は内功を練る事によって出てくるパワーです。功・胆・技巧(ワザ)の順に重要で特に最初は功を練る事が重要であり、これが無ければ技が役に立たない結果となるとの事でした。さて功を練るにはどうしたら良いのでしょう。道は沢山あります。ただひたすらに套路の練習を繰り返す人もいるでしょう。それはそれで間違いではないのです。例えば名人と言われた陳発科老師は一日に一路(83式)を30回練習したと言われています。しかし私は皆さんに套路を練る事以外に太極混元内功を練る事を特に強くお勧めします。その理由として下記が上げられます。
  1. ある時功夫をつけるのにどの様な練習を行うのが一番早く身に付くか馮老師にお聞きした時に太極混元内功を行うのが良いとの話がありました。この内功は馮老師が編み出した所謂秘伝と言われる類のもので事実最近迄一般の人には公開されない類のものでした。即ち通常名をなすには単に多くの時間練習しているのでは無く(実際多くの時間練習している人を沢山見てきましたが、真の功夫を身に付けている人は少ないのが実感です)何か人に無いブレークスルーがあるというのが私の考えですが正にそれが太極混元内功であるのです。皆さんよく考えて下さい。受験でも、仕事でも競争で負けない時には、その人の努力もさる事ながら何か他の人とは違ったやり方、即ちブレークスルーがある場合が多いとは思いませんか?
  2. 馮老師は高い功夫がある事で名を知られているものの、所謂太極拳の専門家ではなく、北京の電気会社に勤めておられて技師として最高の八級まで取られた経歴をお持ちです。在勤当時は技師としての腕前も相当なものであるとの話を馮老師の職場の元同僚から直接聞いた事があります。但し、数人の人を除いては馮老師が太極拳を使えるという事は知らなかったそうです。即ち練習に割ける時間は自ずと限られており、その短い時間の中で功夫を身に付けられたという事実です。元々太極拳は陳家溝で行われていたのですが、昔は農閑期にはひたすら練習したとの話です。その様な練習量の中から名人、達人が出てきたのでしょう。現在では太極拳の専門家の中からやはり名人、達人が出てきていますが、この点で馮老師は我々の多くと同じでアマチュアあがりの太極拳家なのです。従い、その中で生み出された練習方法は比較的仕事を持っている我々一般人には合っていると思われる事です。
  3. 私自身北京では太極拳を練習している多くの人と交流がありましたが、推手の真似事等をして感じたのは自分自身割と早く功夫が付いてきているなと感じた事でした。勿論私のレベルは低く、入門のレベルに過ぎないのですが短期間にレベルが上がってきたとの実感は持っています。私は日本の太極拳を良く知らないのですが、功夫を重視する太極拳というのがもしあまり普及していないのなら、これを機会に太極混元内功と陳式心意混元太極拳を練習されるのが良いと思います。又功夫を重視する太極拳が既に普及している場合でも、ちょっと本太極拳を覗いてみる事が今後の参考になるかもしれません。時々一般向けに講習会を開き、皆さんに紹介していこうと思っています。

2001年7月1日日曜日

真功夫Ⅱ

真功夫Ⅰの続き以下の通りです。

「今敢えて功夫は問いません、拳を正確に打つ事ができれば上出来です」

記:
皆さんは太極拳の真功夫は失伝したと思いますか?
孫:
孫式太極拳は私の後は終わりでしょう。
呉:
この可能性はあると思います。と言うのは腕前は人の体を通して表れるし、真功夫を掴んでいる人は益々少なくなっているからです。民間武術は現在滅亡の危機にあります。最大の問題は学んでも使う場面がない事です。過去民間武術は多くの使い道がありました。例えば拳を教える、ガードマン、公の御用、最低でも世の中で香具師、旅芸人になる手もあった。
現在は実戦の拳を学んでも表演で金メダルを取る事もできず、全く使い物にならない。
清末の民国初期に李瑞東という先輩がおり、人は「鼻の李」と呼び北京、天津一帯では名を馳せていた。晩年に彼は自分の会得した物を三種類の太極拳、即ち天盤、地盤、人盤として著し、又器械に関しても著した。但し、時代が発展するにつれ現在その太極拳を練習する人は多くないと思う。只人盤太極拳又の名を五行錘はまだできる人はいるだろうが天盤、地盤太極拳は恐らくできる人はいないだろう。
馮:
太極拳に限らず武術としてみた場合どれもこれも失伝はあるでしょう。というのは拳架上ではなく功夫上も失伝はあるでしょう。拳架の事はまだなんとかなるが、功夫上の事は対処するのが難しいと思います。現在功夫は失われつつありますが表面的には発展しています。
例えば見ばが良くなったり、来ている衣装も良くなっており発展している。
2人のドイツ人が私の下で太極拳を学んだ事があるが、一つの動作を彼らは一度に数百回練習したりする。もちろんうまくできなければあきらめません。タントウも毎日2時間行う。
我々中国人はそれ程苦労して功夫を練ったりする人はいない。外国人は中国の功夫が良いのを知っているので一所懸命学ぶ。我々は努力して学ばねば、将来は…。
王:
趙堡太極拳は代々村の中で継承されてきており失伝はありえない。但し、以前は武功があった人は死ぬ前に弟子の中で優秀な弟子を選び秘伝を伝えた。もし、師が死の直前に秘伝を教えるのであれば中国の太極拳は危険な状況にあると言わざるを得ない。
李:
そんな事はないでしょう。必ず愛好者はいます。
游:
失伝する事は有り得ないでしょう。中国の文化は五千年の文明があり、秦の始皇帝はかつて焚書坑儒を行ったが中国の文化はやはり保存されてきた。文化大革命の期間も又一度文化は災難に会ったが現在この文化の本質的な部分は完全に守られてきた。
楊:
そのような事は無い。学ぶ人はいるが、一人おれば一人に伝え、二人おれば二人に伝える事ができる。あなたはまた功夫は違うと言うのでしょう?現在は功夫は議論せず拳が正確にうてればそれだけで立派なものと言うべきでしょう。
国家政府部門が中国伝統太極拳の管理情況を理解する為、記者は国家体育総局武術運動管理中心主任の李傑を取材した。

記:
武術管理センターは中国伝統太極拳を扶植する事ができますか?
李:
私は各省市が現在斯様なお金を割り当てる事はできないと思います。何故なら伝統武術の研究は目下の処重点項目に入っていないからです。現在武術をオリンピックのアイテムに入れる事が焦眉の急となっており、どの拳種を重点として研究するかといった事に割く精力はありません。と言うのは拳種が多すぎるからです。資金上は現在競技太極拳ですら不足しているのに、どうして伝統武術を研究する資金があるというのでしょうか?
記:
では中国太極拳の真功夫は失伝していまうのでしょうか?
李:
心配はいりません。伝統武術は絶対失伝しません。只、新しいものが出てきて元々の物は失われていくでしょう。もし元々の物が失われれば即ちそのものが存在する価値がなかったと言えます。
21世紀はわれわれの子孫、後輩は真の太極拳の功夫を見ることができるでしょうか?又外国人は太極拳の真功夫は中国にあり決して他に移る事がありえないと考えているでしょうか?我々世紀を跨る中国人はこの時期にあたり何をできるでしょうか?

2001年6月16日土曜日

真功夫Ⅰ

 中国の北京青年報でかつて主として伝統式太極拳に焦点を当て、中国太極拳の真功夫(修行による真の威力)は失われてしまうのか?との記事があったのでここに翻訳の上掲載し、皆さんの功夫を考える一助にしたいと思います。

中国太極拳の真功夫は失伝してしまうのか?
(北京青年報1998年11月13日より抜粋)

「太極拳は中華民族が人類に対し行なった5番目に大きな貢献である」

 太極拳は中国の国粋であり健康、護身、修身が一体のものである。アメリカの宇宙飛行士も太極拳を空中での重要な健康維持方法と見なしている。第5回中国永年国際太極拳聯誼会組織委員会秘書長のJU金禄のは以下の様に述べている。「太極拳は中華民族が人類に対し行なった5番目に大きい貢献である。」解放以後国家体育委員会は専門家を組織し、簡化太極拳(24式太極拳)、32式太極剣、48式太極拳、88式太極拳を編纂した。又1989年には太極拳競技套路、太極剣競技套路、楊、陳、呉、孫、の4式太極拳の競技套路を編纂し、太極拳の普及及び試合の規格化に意義ある仕事をした。然し乍ら中国の民間には数百年来伝わって来ている各流派別の伝統太極拳が存在する。正に国家体育総局武術運動管理センター主任李傑氏が言われるように「競技試合と伝統套路は別物であり、太極拳の真功夫はやはり民間(伝統太極拳の事)にある」

 今月16日は鄧小平の題字「太極拳好(太極拳はすばらしい)」の20周年記念日です。中国の伝統太極拳の発展は如何にあるべきか。最近弊新聞社の記者がこの問題を携え中国主要伝統太極拳流派の下記7名の名家を訪問しました。
  • 孫式太極拳の創始者孫禄堂の娘、北京孫式太極拳研究会会長孫剣雲(85歳)
  • 楊式太極拳の創始者楊露禅の曾孫、邯鄲市楊式太極拳協会会長楊振基(77歳)
  • 北京陳式太極拳研究会会長馮志強(70歳)
  • 武式太極拳第5代伝人、<武魂>雑誌編集委員呉文翰(70歳)
  • 北京呉式太極拳研究会会長李秉慈(69歳)
  • 趙堡太極拳第15代伝人王海洲(53歳)
  • 武当道教武術院院長游玄徳
記:
現在流行している制定太極拳の24式、48式及びその他競技用套路と伝統套路との違いは何でしょうか?
呉:
制定24式は伝統套路を簡略化したもので、大体一週間で学べる。伝統套路と基本的に形は同じではあるが、内在しているものは多くが異なる(内在的東西很多是不同的)。24式は大体において楊澄甫の楊式太極拳を基にして編纂したのものであり、技撃を考慮せず容易に学べる事を主眼に編纂されている。即ち目的は真功夫を教えるのが目的ではない。一週間で真功夫が学べるなら神業と言わざるを得ない。競技用套路に関しては武術選手は健康を目的としてではなく、又技術を目的としてでもなく表演(EXHIBITION)、即ち動作がきれいという事を目的としている。例えば左右の足上げの時足を大変高く上げる、鳥の羽根の如くあげる。昔の老武術家は一人としてこのように足を高くあげる人はいなかった。楊澄甫でもその様に足を上げる事ができるようには鍛えられなかった(太極拳の技術上から見れば足を必要以上に上げる事は容易に自身の平衡をくずす事になる)。
「あなた達は以後拳を学ぼうとするなら日本に行き後藤氏につきなさい。」

記:
あなたの太極拳研究会はどの様な活動があるのですか?
孫:
別の研究会が出来た時に錦の旗を贈る以外に特に活動はありませんね。
李:
研究会といえば聞こえは良いが実際は活動をしていないのが現状。この12年来毎年多くて年に2-3回の活動をしている程度。
記:
あなたの生徒さんは何人くらいですか?あなたはあなたの先生の功夫を全て引き継いだとお思いですか?又あなたの生徒さんはあなたの功夫を全て引き継いだとお思いですか?
孫:
入門した生徒は約100名です。太極拳を職業としているのはおらず全てアマチュアです。
私の弟子の中で日本の後藤氏は一番良いと思います(今年後藤氏が中国に拳を学びに来た時孫剣雲老師は彼女の中国の弟子達に「今後あなた達が拳を学ぼうとするなら日本に行って後藤につきなさい」と言ったとの事)。研究会が何人いるかはわからない。今、多くの人は私の所まで来ないから、よくわからない。私は老先生(孫禄堂)の功夫をほんの少し、十分の一、二を引き継いだが私の生徒で私が得たものを全て引き継いだものはいない。
呉:
本当に私の弟子と言えるのは10人に満たない。私と私の先生との差は非常に大きい。以前は拳を学ぶ者は功夫を大事にしたものだ。又、技撃を中心に据え、私の先生は相手を一丈程ぶっ飛ばす等全く問題がなかった。原因は彼は練習する時間があった。彼は御母堂がなくなった時は2-3日太極拳を練習しなかったが、結婚の時も太極拳を練習していたと言われている。私の弟子で私の太極拳の全てを引き継いだものはいない。私の半分を引き継げば立派と言えるでしょう。
李:
生徒はそんなに多くはいません。ずっと続けているのはせいぜい100人でしょう。実際上国家が編纂した制定太極拳を練習している人が多く、伝統式太極拳を真剣に練習している人は多くいません。このように労多い伝統式を練習する人はいないでしょう。音楽があれば又簡単で良いでしょう。皆はちょっと練習してみてそれで十分でしょう。但し、本当に功夫を練るのはいないでしょう。中国武術は見た目は非常に普及しているように見えるが実際上その技術がすばらしいというのは殆どいないでしょう。私の先生の功夫を私は引き継いでいません。そんなにたくさん引き継げないでしょう。私の生徒で私の全てを引き継いだ者はいますがその人数は非常に少ないものです。
馮:
私が教えた生徒は数万人にのぼるでしょう。拳理が明晰で拳架が正確で技撃に精通していて初めて全面的に継承したと言えるでしょう。私の先生の功夫を全て継承すると言うのは実際上不可能でしょう。彼との理解も違うし、学ぶ時間も違い、学ぶ深さも違います。私の生徒は私のものを大部分引き継いだと言えるでしょう。
楊:
私は十数年来無料で拳を教えています。約7千人強の人達を教えて来ました。私は私の父の動作を変更せずにきました。私は彼の功夫及び彼の問題点を説明できます。但し、説明できる事と出来る事は違います。例えばこの手の技撃はどの様に使うか説明できますが、それが実戦でだせるかどうかは別の問題です。私の生徒で私の拳を全て継承しているものはいません。私は生徒に推手を教えた事がありません。練功している人間の功力がそのレベルに至っていないので推手を教える事はできないという事です。
游:
武当太極拳は過去は秘伝の太極拳と呼ばれていたものでした。私は門弟のみ教え門外不出を旨としていました。それは規則、慣しと言って良いでしょう。又は歴史や文化に対する一種の責任かもしれません。というのはもしあなたがある人に伝えたとして、それを受け継いだ多くの人達が大切にしなければ目もあてられないでしょう。祖先に対しても尊重しない態度と言えるでしょう。だから優秀な人を選んで伝えるべきなのです。現在私が経営している武術学校は80-90人の生徒がいます。
王:
私の弟子は少なくとも70-80人います。趙堡太極拳代々単伝され、村から出る事はありません。真実の物は全く伝える事ができません。息子の嫁には伝えるが、娘には伝えません私は趙堡太極拳の本を一冊出しましたが、その事に対する抵抗は大変なものでした。私の先生の会得したものを私は未だ完全に学び取っていません。八分の一も学び取っていないでしょう。但し、私の弟子の中には私より出来の良いのがいます。

2001年4月8日日曜日

太極拳の速度

 太極拳のスピードはどうしてあんなに遅いのか?又あんなに遅い速度で武術として使えるのか?との質問を度々受けるのでここに小生の考えを纏めておこうと思います。
  1. 太極拳のスピードはどうしてあんなに遅いのか?

    まず最初に太極拳は気功であり、気功を通じて威力を獲得するのです。この獲得された威力を功夫(コンフ)と言いますが、この気功はスピードが速くてはできない代物です。というのも気功は意念(強い意識)を使います。一つ一つの動作に意念を丁寧に使っていき、散漫な動作が無いようにします。こうして練っていけば気が全身に行き亘り健身効果が得られます。又武術的には意が鍛えられ意の強さが高められ、意の反応も高められると言われています。

    その次に太極拳は武術ですから力を獲得する必要があります。太極拳で使う力は勁と言って通常の筋力とは違います。通常の筋力は「拙力(zhuo li)」と言って排除されます。この勁を各招式で出していく訳ですが、この勁は筋力を使わず、丹田の力を使います。正確に言うと筋力は使わないのではなく、力の伝達としては使いますが、力を発する源としては使わないという事です。筋力が力を発すると丹田の力を発する邪魔になるので出来るだけ力を抜いてリラックスさせ(これをファンソンと言います)丹田の力を最初の内は絞り出すように発します。このように力を出す場合初期の頃は動きが速くてはこの力が出ず、踊りになってしまいます。ただ上級になってくると自然と勁が出て来るようになり、素早く動く方法で套路を打つ練習も行います。

    第三にこの勁をゆっくりと練り込んでいくと勁が徐々に大きくなってきます。即ち力が増大してくるという事です。従い、熟練者の套路は見ているだけでその勁の大きさが伝わってきます。逆に初心者の套路は勁が全く見えない場合が多いです。
  2. 太極拳はあんなに遅い速度で武術として使えるのか?
     太極拳のゆっくりとした速度はあくまで套路においてであり、実戦は又別物です。上にも書いたように太極拳は意念を鍛え、又推手等で聴勁も鍛えるので、相手の動きの察知も素早くなり、相手の動きが速ければ相手に合わせ速いスピードで動けるようにもなるのです。小生が教えて頂いた朱鋼老師は推手の時は凄く重く遅いのですが散手(自由組手の様なもの)では驚く程素早く動かれるのでビックリした事を覚えています。小生はそこまでの高いレベルに行っているとは言い難いですが以上が太極拳の速度に関する小生の考える処です。

2001年3月10日土曜日

站桩(ZHAN ZHUANG/以後タントウと読む事とする)

 太極拳を知らない方の為に説明すると、タントウとはやや足を曲げて(流派によっては大きく曲げる)て、念を丹田に置いて立つ(これも流派によって意念の置き場所が違う)所謂、立禅と言われる練功方法。

 伝統太極拳ではこのタントウを行う所が多いが、このタントウとはどういったもので、どうしてこのタントウを行うのか疑問に思われる方も多いと思う。このタントウは一つの見方は築基功である。従い、基本的には気の増大に寄与するものである。又これを行う事により、功夫(コンフと言い練功による威力)がついてくる。どうしてそうなるかは小生も知らないがそうなるのである。築基功の一つの証左は、これを行っていると手も次第に暖かくなってくるし、又丹田も暖かくなってくる。

 陳式心意混元太極拳ではどのようなタントウを行うかと言えば先ずは活歩桩である。活歩桩とはどの様なものかと言えば套路を極端にゆっくり行い、各動作の終わりに気を丹田に戻すように行うという具合に行うもの。これは非常に効果のある方法であり、お勧めです。又、この方法で套路を行えば全く疲れないと言っても過言ではないと思う。

 その他には活桩である。所謂立禅には2種類あり、体が全く動かない定桩と、足の位置は動かないが、体が自然と動く活桩である。この活桩を用いる。