2011年3月22日火曜日

唐跃新師兄について

唐師兄は18歳から馮老師についた背の低い、小柄な師兄で古参といってよい師兄でした。
2008年頃に亡くなりましたが私にとっては忘れられない人でした。

私が北京に駐在していた6年間は毎週日曜日は地壇公園に行き馮老師に太極拳を習っていました。
ある時古参の弟子が集まっておられた時、馮老師はその中の唐師兄を私に日本語で「唐さんです」と紹介して下さいました。
彼は刀がうまく優勝した事もあるとも言われていました。然し唐師兄はVCDの48式で摆脚跌叉をかっこよくキメていたのを見たことがあったので、既に知っていました。 

その後日曜日の推手で時々顔を合せましたが、ある時唐師兄から私に推手をやろうと声をかけて下さいました。
一般には推手の時はあちこちで自由に推手をするのですが、その時はなぜか皆が我々の推手を観戦していました。
その衆人監視の中でいいようにいたぶられ、投げられたのでした。
しかしそれ以降唐師兄は自分の事を先生と言って良いと言われ何時でも教えてあげるといわれ、また自分の生徒も私に引き合わせてくれたりして下さいました。
それは無口な唐師兄にとっては最大の好意でした。その後もお会いすると何かにつけ面倒を見て戴き、今も忘れられない恩人です。唐師兄ありがとうございました。

2011年3月21日月曜日

武術家の親子関係

先日馮老師の御自宅で雑談している際に陳発科老師の事に話が及び馮老師が何気なく陳発科老師は自分の子でも意に添わないと厳しく話もしなかったと言われた。
そうですかと話を流していると、陳照旭には近くにいても全く言葉を交わさなかったと言われた。
いつもではないとは思うが平生からそのような態度であったとの話があった。
陳発科老師には二人の息子があり、一人は陳照旭、もう一人が馮老師に後事を託された陳照圭で、陳照旭の息子が陳家溝の四天王の一人である陳小旺となっている。
武術となると我子でも特別扱いはしないものなのかと思った次第。考えさせられる話ですね。