2018年6月1日金曜日

私がいた頃の北京武術界

私が北京にいたのは1993-2003年位でした。此の頃北京では陳式太極拳と言えば皆口を揃えて馮志強老師、楊式太極拳と言えば劉慶洲老師、呉式太極拳と言えば李秉慈老師と言われていました。その他には呉式太極拳と八卦掌を教えている王培生老師、形意拳、八卦掌の駱大成老師、大成拳の王選傑老師と伝説上の名人が多く居られた時でした。当初はそういう事情は知らず、偶然出会えた馮志強老師の幸運に感謝し、他の老師方には目もくれず練功に明け暮れる毎日でした。私はある事情で長富宮飯店に泊まって朝練習をしていた時期がありましたが、そのホテルでは毎朝太極拳の表演をホテルの庭園で行っていました。そのメンバーの一人が劉慶州老師の息子で劉連有でお互い顔見知りとなりました。同氏は現在慶洲太極拳推手研究会会長ですが、当時から推手も強いとの噂がありました。北京で制定太極拳をやっている人は劉慶州の影響を受けている人が多く、勁が出ている立派な太極拳を打っている人が多かったのを覚えています。因みに、我々馮志強の門下の人間は制定太極拳は出来ず、というのもある人が制定太極拳をやってた処を馮老師に見られ老師が发脾气(ファーピーチー)日本語でいる癇癪を起したと言われていたので誰もする人がいませんでした。
日本で制定太極拳をやっている人で勁が出ている人が少ないのは、このような伝統太極拳をやっている老師が教えていないからだと考えています。制定太極拳は楊式をベースにしている為(特に簡化24式)伝統楊式拳の老師が教えるのが繋がりが良いと考えています。
因みに太極拳の大会で数々の優勝をかざられた遠藤靖彦先生は馮志強老師、劉慶州老師、陳小旺、周元龍老師とも推手をされたとの事です。