2005年10月30日日曜日

連綿不断

 「連綿不断」は太極拳の特徴の一つに言われています。太極拳と言うと楊式太極拳のゆっくりと一定の速度で動く太極拳を想像されるでしょう。この動きを「連綿不断」というのが一般的なようです。途切れる事なく連綿と続く動きということでしょう。

 実は私は馮老師の高弟の張老師の弟子の一人が動き、形は一見陳式心意混元太極拳(以下混元太極拳という)なのですが、馮老師の動きを見る機会の多い小生には同じ太極拳とは見えませんでした。理由はその弟子の外見の動きが「連綿不断」となっていたからです。その弟子には小生から、馮老師の混元太極拳とは違う旨の話をしたところ、張老師からも同じような話をされたと言っていました。

 どういう事かというと、小生が教わった陳式太極拳の動きは「松」「緊」が交互に現れてくるのです。即ち外から見た動きは緩急が交互に現れるといった具合です。この「松」の時は一瞬動きが止まったようになるのです。従い、動き自体は「連綿不断」とはならないのです。では勁の「連綿不断」かというとそうでもないのです。この事に関しては陳発科老師から一つの「口訣」が伝わっているので(この「口訣」はここでは開示できませんが)明らかです。では「連綿不断」ではないのかというとそうではありません。つまり「気」の「連綿不断」なのです。もっと言えば気を導く意の「連綿不断」です。これは非常に重要なので「気」が途切れると即老師から声が飛んでくるといった具合です。

 話は少しそれますが、小生が教わった陳式太極拳では套路以外の色々な功法でも松緊、松緊のリズムで練るものが少なくありません。従い、この点も今後皆さんが錬功される際にも注意されると良いでしょう。

 太極拳に関しては「これが太極拳だ」、「あれが太極拳だ」と色々言われる人が多く居られるので、小生は私が教わったもののみが太極拳だと言うつもりもないし、又ひょっとして私が教わったものが所謂「太極拳」ではないかも知れません。然しながら、小生は陳発科老師、馮志強老師と伝わったこの拳が非常に気に入っており、例え所謂「太極拳」でなくても全然問題が無いのですが、もし小生以外にこの太極拳をやろうとされる方が居られるなら上記の点は押さえておかなくてはならない重要なポイントです。