2021年9月1日水曜日

陳発科老師の陳式太極拳は何処へ?

 以前にも書きましたが、陳発科の息子である陳照圭先生と馮志強老師との関係は兄弟のようだと聞いていましたので、その関係を馮志強老師にお聞きした事があります。そこで私は予てからの疑問の一つである陳式太極拳の内功法がどうして陳照圭老師に伝わっていないのかをお尋ねしました。そうすると馮志強老師は遠くを見るような悲しいお顔で実は陳照圭老師が最後に出張に出かけた時に、彼が戻って来た時に伝える積りだったと言われていました。1981年に陳照圭老師は陳家溝の四天王と言われている人達に陳式太極拳を教えに行かれ、その時に脳梗塞で倒れて帰らぬ人となりました。このように北京陳式の中にあっても全ての人が宗家の功法を得た訳ではありませんでした。然し乍らこの陳式太極拳の秘伝の功法は我々の中にあります。また陳発科の最後の改変となる混元太極拳も我々の中にあります。北京陳式は陳式宗家の各種功法の宝庫と言えるでしょう。勿論宗家以外に伝わっている陳式太極拳が悪いとか劣るとかを言っている訳ではありません。それぞれの発展を遂げ素晴らしい太極拳となっている事は想像に難くありません。ただ陳式太極拳を志した人達にとっては宗家の拳、功法、秘伝はやはり垂涎の的であり興味がわくものと言えるでしょう。現在では陳発科の弟子や孫弟子が北京で陳式太極拳を連綿と伝えていっています。山東省の洪均生の孫弟子も北京体育大学等で御活躍です。かかるが故に陳式宗家の太極拳のメッカと言われる北京には毎年多くの方が訪れます。

ある時洪均生かその弟子かれましたが、陳発科の逸話についてコメントされた事があります。陳発科は陳延熙の正嫡でしたが、幼少期は太極拳の練習を殆どする事なく周囲の人達は陳氏太極拳が陳発科の代で途切れてしまうと噂をしていました。ある時父が長期に出張する際に集まった人達が漏らしていたその話を陳発科は聞き、その後人の何倍もの練習をこなし、親戚の実力者を追い越していったとの事です。後にある人はどうしてそんなに強くなったのか、どのような練習をしたのかと陳発科に聞いた処、陳発科老師は「何も皆と変わった事をした訳では無い。」と答えました。 これに対し洪均生かその弟子のコメントはこの言葉はその通りに受け取るというものでは無い。多くの練習を重ねた事は事実だが、宗家にだけ伝わっているものもある。斯様に言われたとの話を聞いた事があります。

現在小生は北京陳式太極拳協会を日本で組織し、年に一回北京陳式の各老師に御参集頂いていますが、この目的は北京陳式の各種功法の棚卸に他なりません。この交流は未だ始まったばかりですが、既に興味深い事実も色々浮かび上がってきています。又現在陳照圭老師の弟子である馬虹老師の弟子の方と交流がありますが、その中で陳式太極拳の内功法をお伝えする事ができれば馮志強老師の思いも満たす事が出来るかも知れないと考えています。