2019年5月1日水曜日

馮志強老師に褒められた思い出

馮志強老師に褒められた思いでをちょっと語ってみたいと思います。
自慢話かと思われますが、我慢して聞いて下さい。実は褒められたのは1回しか無いのです。套路を早く正確に(と言っても外見だけですが)覚えるのでお前は賢い(聪明)と言われた事はよくありますが、心底褒めているようではありませんでした。ある時山東省で混元太極拳の大会があるとの話があって、日本からも多くの人が参加するとの事だったので内容をお聞きしようとした時も、お前は関与するなというように言われた事もあります。他の日本の弟子とは違ったあたり方でした。SARSが中国で流行った時も日本のマスクを持っていきましたが、そこで立ってなさいと言われ何時間も站椿功をした覚えがあります。その時は馮老師は他の方と世間話をしているような具合でした。褒められた事もほとんどなありませんでした。太極拳を始めて2-3年がたった時にある八卦掌の人達が2-3人馮老師を訪問され、馮老師は公園で話をされました。その時の一人は話をろくに聞かず、私に推手をやろうと言って来ました。実際推手ではなく単なる押し合いでしたが、その時私が簡単にその方を押し切ると、その方は5年以上站椿をやっていると言って感心しておられました。その様子を馮老師は見ておられ、その後功夫が出てきたなと言って喜んでおられる様子でしたが褒められたというものではありませんでした。
一度だけ明らかに褒められた事があるので、その時は本当かと思いました。
老師が拝師の弟子に与える套路46式を小生にも46式を完成した時に教えて頂きました(小生はその時点で拝師していませんが)。ある時この套路を馮老師にみて貰った時でした。通常は砲硾を打つ時は発勁を行わずに打ちますが、この時は発勁を伴って打ちましたので、それを咎められるかと思いましたが、案に相違して、その時に初めて褒められたのです。その後、「疲れただろう。そこで暫く休んでいなさい。」と言われたので休んでいると、馮老師が地壇公園のあちこちから知り合い、友人を呼んで来られました。そして知り合いの人達が集まると「もう一度46式を打ちなさい。」と言われました。明らかに小生の套路をそれらの人に見せる為でした。そしてもう一度発勁をして46式を打ちました。その後馮老師は「彼は日本人で堀仁彦」というと言われ皆に紹介してくれました。その頃を境に馮老師の小生に対するあたり方が変わってきました。ある時北京の空港に到着し、お電話を入れると「お前、今何処ににいる? 今からそこに行く。」と言われた時にはびっくりしました。御自宅に呼ばれる機会も増えてきました。又套路の修正もかなり細部に亘って行われるようになりました。今では懐かしい思い出です。

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