2017年9月11日月曜日

馮志強老師の陳式太極拳と芦原英幸先生の芦原空手

ここに来て両者を学んだ者として両者の共通点と相違点を纏めてみたいと思います。
まず私が芦原空手を学んだ時期ですが、極真会館の芦原道場の時に学び始めました。この時の道場には人が溢れ、組手の時は異様な雰囲気が醸し出されていました。それは当時の白帯でも他流の空手や少林寺拳法出身者で有段者が多く、お互いがあいつには負けないという感じでした。従い白帯同士の組手が一番危ない状況にあり、怪我人が続出していました。又他流はからの挑戦者等もいたりして何か映画でも見ているかのような状況でした。
組手は見学者を締め出して行われており、顔面のパンチあり、髪の毛を掴むのもありでしたので、顔面のガードを一番最初に痛みと共に覚えるという状況でした。その後流石に白帯同士の組手は無くなり上級者がサバキで制するという形になっていきました。従い、今でいうまずサバキが在りきでは無く、突き、蹴りの中でサバキを使い制していくというものでした。このサバキですが、考え方の基本は相手と正面からぶつからないというもので、相手の攻撃と同時に左右のポジショニングを取りながら攻撃を無力化するものです。この点は太極拳の化勁に通じるものがあります。又受けが同時に次ぎの攻撃のポジショニングに繋がっており、自分は攻撃できるが、相手から攻撃ができないポジションを取りにいきます。又芦原先生の突き、蹴りは非常に重く、簡単に手加減して技を繰り出して頂いている場合でも尋常でない重さがありました。これは太気拳での内功の影響があったのではと推測されます。この点は勁がある太極拳に似ているものと思っています。最後に芦原先生は後述の通り、技を次々に開発され伝統の技や型に固執されませんでした。常に進化していく空手でした。一方馮志強老師も套路をどんどん改善していかれました。これは陳発科老師よりのDNAで「不要保守」(保守的になるな)と言われて改善される事に常に積極的でした。この点は類似点として上げられるでしょう。
次に相違点ですが、芦原空手では上述のように相手の攻撃に合わせ有利な位置を取って攻撃したりしますが、太極拳では攻撃を躱しつつ攻撃を行ったり同時での攻撃が結構あるという事です。又接近したインファイトでの攻防に於いては芦原空手では肘、膝の攻撃となってきますが、太極拳では靠(カオ)という体当たり(正確には体当たりでは無いのですが)を用いる点です。これは体が当たる時に発勁を行っているのですが、かなりの威力で相手が吹っ飛びます。一方芦原空手というより芦原先生の空手の特徴というか印象に残っているものはそのスピードになります。一般には伝統空手はかなりのスピードとキレを持っており、フルコンよりスピードがある人が多いですが、芦原先生に限っては右にでる人がいないと思えるスピードでした。例えば、冗談半分でご自身が何発正拳突きを打ったか当ててみろと言われた場合に殆どの場合正確に何発打ったか見えない程でした。もう一つは技に対する考え方に違いがあるように思えます。芦原先生は技は開発するものというお考えでした。実際に色々な技を開発されました。従い、開発された技の説明を行う時は人を限って行われていました。所謂企業秘密という感じです。一方馮志強老師は太極拳の一つの招式(技のようなもの)の使い方にかなり柔軟性をお持ちでこういう使い方もできる、こういう使い方もできると幾通りもの使い方を示され、固定的に考えておられないような節がありました。非常に臨機応変という感じでした。散手(組手)は千変万化といつも言われており、その中で臨機応変に対応していく事が根本にあり、技自身の変化も認めて居られました。以上が私が経験した太極拳と空手の類似点と相違点です。私自身の理解が浅い処もあると思うので一概には言えませんが、一つの意見としてみて頂ければと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿